【会津観音】2015/09/30(11日目)①【日新館】

おはようございます!
緊急避難した猪苗代湖畔のビジネスホテルにて起床です。

いやぁ、お布団はいいですねぇ。
昨日は午後は曇り模様でしたが、再び青空が広がっています。
まだ風は強いけど・・・。

チェックアウトを済ませ、いざ会津若松へ!



これまた昨日と違い、今日の道はほぼ下りなので超気持ちいい♪
猪苗代湖がいかに高台にあるかが分かります。


会津若松市内に近づくと、なにやら白くでかいものが・・・



観音様じゃ~。
仙台にもあるけどここにもあるんですね。

近くまで行くと、お寺?
会津村なるテーマパーク?
よく分からない運営業態(;´・ω・)

とりあえず入場料500円が必要らしいんで、支払って見に行ってみます。




中はちょっとした平安貴族の庭園のようで、かなり綺麗に整備されています。
つつじやあやめ、コスモスなどが植えられており、四季折々で違う風景を楽しめるようになっています。




景色はいいのですが、庭園なのか、お寺なのか、はたまたテーマパークなのか、ちょっとよく分からない施設ですね。

古民家を移設して作ったという休憩所を発見。
ちょっと探検してみましょう。








うぉぉ、この放置感、ざっくり感。
なんだかいいですね。
こんなところでかくれんぼしたら、絶対見つからないやつが一人出てくるでしょう。
一方で夜はちょっと怖そうです。

さてさて最後は観音様ですが、中に入れる、さらに登れるというので行ってみました。


高さ40mのところまで行けるのですが、結構しんどかった。
年配の方は厳しいんじゃないかな。



階段内側には金ぴかのミニ観音がずらーっとらせん状に並べられています。
結構壮観ですが、登りに集中して途中からどうでもよくなります(笑)


とことこ・・・
とことこ・・・

ふぃー、やっとついた~。
3箇所から市内を眺められるみたいです。





一言断っておきますが、眺めはこんなに良くないです。
お城の銃眼(狭間)のようなところから腕を目一杯伸ばして、カメラだけニョキっと突き出した状態で撮った写真なので、実際は見晴らし良く見えません(´;ω;`)
けど、とりあえず登ったので気が済みました。

腹も鳴ってるし、降りてどこか食べに行きましょう。


観音様を見終わった後、ランチの検索をしているとマップの道程途中に、会津藩校日新館の文字が。
施設内解説で知ったことですが、かの司馬遼太郎が「日本一の藩校かもしれない」と評した、会津藩の学校です。
白虎隊の隊士がここの生徒だったのも有名ですね。
うーむ、ここは行って見るべし。



入場料620円を支払い入場。



建物の雰囲気が中華チックだなと思いましたが、理由は後々判明します。
一番始めに映写室で日新館についてのムービーをみて、予習してから奥へ進みます。



江戸長屋のような建物に色んな教科の教室が入っているみたいですね。



なるほど、ここ日新館は儒教を基本とする朱子学を教育理念として創設された学校であり、奥の御殿には孔子を始め、古代中国の知識人を祀っているわけですな。
中華チックだったのはこのためだったんですね。

順路を進むと、塾スペースに突入。
生徒たちの様々な座学を学んでいる様子と、白虎隊の各隊士の個性的な説明を見る事が出来ます。

 









こちらは会津藩最高学府、日新館大学でございます。
日新館でも選りすぐりの秀才が集って学んだことでしょう。







 

ちょっと休んで、さらに進みます。




最奥にある大成殿には、先述の通り孔子廟があります。
その他に、古代中国の学者や所縁のものが所狭しと並べられています。




この先の資料館では、日新館から戊申戦争を生き抜き、明治以降活躍した会津の偉人を紹介していました。
もちろん八重の桜でおなじみの新島襄八重もしっかりと収録。
しかし撮影禁止区域でしたので、カメラをしまっていそいそ退出。



ここまでは各塾、主に座学分野の区域でしたが、ここからは体育部門となります。

まず日本初のプールといわれるこちらの池。



池を廻って武道館の中へ。







さらに弓道場、木馬場、砲術場と続きます。

 






こちらには天文台。





と、でっかいバッタ(笑)




会津で天文といえば、藩祖の保科正之公が(名脇役で)出てくる冲方丁・著
「天地明察」
が数年前に映画化されて話題になりました。

この小説は江戸時代の暦を改める、いわばカレンダー作りの話なのですが、今のカレンダーからは想像出来ないくらい壮大なスケールの話になり、保科公も一枚噛んできます。
斬った張ったもおもしろいですが、天文時代劇、なんてのも読んでみると面白いかもしれません。
詳しい話はまた後ほど

江戸時代からここまで充実した教育施設は珍しく、佐久間象山吉田松陰が当地に視察へやってきて、”会津藩士の教育水準は目を見張るほど高い”と舌を巻いたそうな。
その礎がここ、日新館にあったのかもしれません。
(二人の弟子が、のちに戊辰戦争で会津藩をボコボコにするのは何とも皮肉なのですが。)




ふぅ、結構時間かかっちゃったな。
お目当ての食堂間に合うかな・・・。
ブログも長くなってしまったので、その②に続きます。

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