今日は旅の途中でお会いした内田さんとさいたま市内で再会。
待ち合わせの駅近くまで行くと、ん?火事か?
めっちゃ火事でした(´д`)
交通規制されていて、大宮駅から歩いてきたのですが、公園駅までたどり着くのにめっちゃ迷いました。
なんとか駅前にて内田さんと合流。
ツイッターで教えてもらった寿能城へ連れて行ってもらいます。
寿能公園(城跡)
寿能の読みは「ジュノー」。
ということは、ここはジュノー城ということになります。
なんだか欧州チックですね(笑)
ここも回りは住宅街になっており、お城の面影はこちらのお墓のみの様子。
話によると、一昔前はここら辺の舌状台地は田んぼだったそうな。
縄文時代のものがよく出土したそうです。
そしてこれまた太田道灌が築城に関わったそうで。
この後はこれまた再び川越へ連れて行ってもらいます。
見に行きたかったのはこちら
東明寺
(時宗のお寺は初めて見たな・・・)
ここは桶狭間の合戦・厳島の戦いに並ぶ三大奇襲戦が行われた「河越夜戦」の激戦地であったそうな。
河越夜戦とは・・・
戦国の梟雄・北条早雲から数えて3代目・北条氏康が関東に確固たる勢力を築くきっかけとなった戦い。
関東連合8万 VS 河越城3千(万じゃありません、千です)
圧倒的戦力差を堅城・河越城と巧みな用兵術で持ちこたえていた北条綱成。
そこへやってきたのは当主・北条氏康。
その数たったの8千。
10倍の兵力の敵に奇襲をかけ、相手を敗走させる。
因みに関東連合の内訳はこんな感じ。
古河公方(室町幕府関東支社・支社長)
山内上杉(支社長補佐)
扇谷上杉(支社長補佐の補佐)
三家とも室町幕府から派遣されたれっきとしたお家柄なのですが、それぞれ仲が悪く、そのせいで当時の関東は畿内に負けず劣らず混沌としていました。
因みに大築城家であり河越城を築城した太田道灌は扇谷上杉の家宰(No.2)でした。
その人が建てたお城に籠もられ攻めあぐね、挙句の果てにこの戦で三家とも滅亡もしくはその一歩手前まで没落します。
それがもとで長尾景虎が上杉謙信となるのですが。
すごい音と光景でした。
臭くならないうちに避難避難。
お昼は内田さんお勧めのとんかつ屋さん。
恐縮ながら、ご馳走になりました(;^_^A
ありがとうございますm(_ _)m
この後大宮駅に戻るまで色々お話を聞くことができました。
(道灌の蓑エピソードの公園とか、さいたま市の裏事情とか)
ご一緒していただき誠にありがとうございました♪
走行時間:1時間半くらい
走行距離:電車に聞いておくれ
平均速度:電車に以下略